「丁寧に生きる」先日何気なく見ていたTV番組の中で聞いた
言葉です。
たしか、二人ともガンに冒された夫婦の
ドキュメントだったように思います。
最初奥様にガンが発見され、治療中に
看病している旦那様にもガンが見つかって、
その当時の二人の詳細な日記を元にした
ドキュメントだったと思います。
たぶん奥様の書いた日記の中だったと
思いますが、その一節に
「
これからは“丁寧に”に生きていきたい」
という言葉が入っていたんです。
「
丁寧に生きる」・・・っていったい
どういう事だろう・・・と、
せっぱ詰まって生きていない私には、
理解できたような出来ないような、
分かったようで分からないような、何とも
形容しがたい気持ちになったものです。
以前ご紹介した、問い合わせとも演説とも
つかないお客様のお電話で、
アメリカのカーター大統領の本にあるという
「君は最善を尽くしたか」という一節を
お客様が引用された時、
「自分は最善を尽くしていると
言えるだろうか・・・」
と自問したように、
「
丁寧に生きる」という言葉を聞いた時、
「自分は丁寧に生きてきたと言える
だろうか。はたしてこれから先も
丁寧に生きていけるのだろうか」
と、自問している自分がいました。
そしてハタと、
(
でもいったい丁寧に生きるって・・・・)。
どういう事なのか?
知りたいような知るのが怖いような
この「丁寧に生きる」という言葉。
そう考えている内に、脳の裏側にへばり付いて
取れなくなってしまいました。
あまりにも気になるので、自分なりの
結論(決着)をつけてみます。
(ビジネスのメルマガになっていませんが
興味のある方はお付き合いください)
改めて「丁寧」という言葉を広辞苑で
引いてみました。
◆「丁寧」
「注意深く心が行き届くこと」
「てあつく礼儀正しいこと」
広辞苑でさえこの位しか載っていませんでした。
それだけ一般的で、説明の必要がない
言葉なんですね。
この意味を疑わずに捉えるなら、
“丁寧に生きる”ということは
「注意深く生きる」「礼儀正しく生きる」ということになるのでしょうか?
確かに心構えとしては必要ですが、
何か違います。しっくり来ません。
反義語辞典にヒントがあるかも、と
思い引いてみると、そこには自分に
当てはまる語句がビッシリ・・・。
◆「丁寧」の反義語
ぞんざい、ずさん、粗雑、おろそか、大ざっぱ、いいかげん、生半可、中途半端、適当、アバウト・・等々。
書き出している内に腹立たしくなるほど
デタラメな言葉のオンパレード。
でも、この逆だと考えれば、
ぞんざいに生きないいいかげんに生きない中途半端に生きないが丁寧に生きるという意味と考える
ことも出来ますが、これも何か
今ひとつピンと来ません。
反義語辞典、“収穫なし”です。
(気分を害しただけでした・・・
引かなきゃよかった)
それならばと、丁寧に生きているという
言葉に何となく当てはまる近しい“人”を
イメージしてみました。
いました。
田舎のおじいちゃんやおばあちゃん。
かなりの高齢なのに、朝早くから
田圃だの畑だのと出かけていきます。
親戚の漁師は80歳に近いのに、朝4時には
船に乗って漁に出ます。
こちらも親戚ですが、豆腐屋の叔父は
毎朝3時に起きて愚痴を言うわけでもなく
粛々と豆腐を作り続けています。
しかもほぼ365日フル稼働。
昨年年末の30日に電話した時も、
明日も注文が沢山はいっているから
3時起きだねと笑って言ってましたね。
大晦日もフル稼働です。
そんな人たちを思う時、
「まじめ」「実直」「正直」という言葉が浮かびます。
「実直」というより「愚直」と
いった方がいいかもしれません。
(言葉は悪いですけど)
この人たちを思う時、
与えられた使命(天命)に忠実に生きているように見て取れます。
そうです。これです。「
忠実」です。
忠実は
「真心を尽くしてよくつとめること」
と広辞苑にはありますが、
この翻訳、何となくしっくり来ません。
私の中の「忠実」は、
「
置かれた状況を、嘆かず、恨まず、 誤魔化さず、持てる力で誠心誠意 向かい合う」
ということになります。
じゃあ何に対し「忠実」なの?と
自問してみます。
自分に?
仕事に??
それとも周辺の人たちに???
どれも違いますね。
“生まれ出た”ことと、“今ここ”にいることに対してです。
与えられた生(せい)を受け入れて、それに対して忠実にに生きる。自分の心を誤魔化さず、こんな自分も自分だと受け入れて、思う存分一喜一憂して、そんな今に忠実に生きる。(時々ため息をつきながら・・・)
それが「丁寧に生きる」ということでは
ないだろうか、そんな気がします。
やっぱりきっちりとした結論は
出ないのかもしれませんね。
「丁寧に生きる」
なかなかそうは生きられませんが、
この言葉だけは後で必ず思い出すよう
記憶にとどめておきたいと思います。
(独り言のようになってしまって
すみませんでした)
本日も最後までお付き合い下さいまして
ありがとうございました。
---------------蛇足-------------------
やっぱり中途半端な結論になって
しまいました。
そもそも、この無い頭で決着をつけようと
思ったのが間違いです。
(たったこれだけの文章を書くのに
3日もかかってしまいました)
まだまだ「丁寧に生きる」にはほど遠い
ってことですか。
まだもう少し、生半可に生きさせて
いただきます。
話は違いますが、私の知り合いに、
「
どんな人も、その人にしか できないことをするために この世に生まれてきた」
と言い切ってはばからない人がいます。
世のため、人のために役立つ運命・・・、「天命」をもって、この世に来ている、と。
(この世に生きている、ではなく、
“来てる”んですよ)
まるで宗教家のようですが、彼は無信心者。
仏壇ぐらいは実家にあるでしょうが・・・。
今回たまたまつけたTVで見た、ガンを
患った夫婦。
悲しい物語ではあるけれど、辛い現実では
あるけれど、その日記が、
誰かに見せようと思って書いたわけではない
日記の一言が、
こうして私に考えるという機会を与えてくれた。
そう考えるとやっぱり彼が言うように
意味のない生(せい)はないんだなと
思います。
生半可でもいいじゃないですか。
精一杯「一喜一憂」しましょうよ。
今まで我慢してきたんだから。
それに、私たち“生きてる”んだもん。
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この記事を見て、私も考えさせて頂きました。
たぶん、「丁寧に生きる」という答えはないと思います。
きっと辞書を引いても 人に聞いても。
この答えは自分で見つけるもの、自分で納得いくまで探す
こと なのではないかと思いました。自問自答ですね;;
私も色々考えさせられた結果がこれです^^*
「丁寧に生きる」私の答えは「楽しむ・和む・苦労する」
だと思います。人によって違うのがまた面白い所。
長々とすみません。これで失礼させて頂きます。